古墳時代は、ヤマト王朝によって地域の豪族(氏族)が束ねられ国家として統一されていきます。「神道」は伝統的な民俗信仰・自然信仰・祖霊信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立していきました。また、ヤマト王朝による祭祀もとりおこなわれ、日本国家の形成に影響を与えたとされています。
一方、大陸からは文字(漢字)と仏教・儒教がもたらされ、生活様式の変化をもたらしました。特に、渡来人によってもたらされた「竈(かまど)」は「炉(ろ)」が使われていた調理様式に劇的な変化を与えたました。このような人工物がもたらす恩恵に対し「竈(かまど)」を信仰の対象として捉え、自然崇拝の「火の神」と融合させ「かまど神」を祀る文化も同時に普及して行きました。神々が自然や日常のあらゆるものに宿るという信仰概念の竈(かまど)信仰が根付いていきます。
また、渡来人によって伝えられた仏教は、神道と仏教の信仰が混ざり合い共存する神仏習合という信仰形態により広まっていきました。
しかし、百済の聖明王(せいめいおう)より欽明天皇へ公伝された仏教の教えが原因で、仏教を肯定する蘇我氏と仏教を否定する物部氏を中心に、朝廷内は二分されてしまいます。この宗教論争を崇仏・廃仏論争と言います。この対立は蘇我氏と物部氏親子2代に渡る朝廷内での権力闘争と発展し、やがて日本で初めての内乱の丁未の乱(ていびのらん)を起こすこととなり、物部氏は滅んでしまいます。
