厠神(かわやかみ)信仰の起源は古く、縄文・弥生時代の集落では共同の排泄場所が水辺や川に設けられ、そこに水の神を祀って身を清めたと考えられています。『古事記』の「神産み」の段では、伊邪那美(イザナミ)が火の神:火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)を生んで苦しむ中で、その嘔吐物から金山毘古神(かなやまびこのかみ)と金山毘売神(かなやまびめのかみ)、糞便から波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)と波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)、尿から彌都波能売神(みつはのめのかみ)と和久産巣日神(わくむすひのかみ)といった神々が生まれたと記されています。この神話は、不浄なものにも神聖なる力が宿るという日本独特の世界観を端的に示しています。
古代の人々は排泄物を肥料として田畑に還す循環の仕組みを築いており、「不浄とされるもの」と「豊かさをもたらすもの」との二面性を司る神として厠神は尊ばれてきました。
厠神が『出産の神』とも結びついたのは、「最も不浄とされる場所の厠」を清めることが、「美しい子供」を生むための重要な行為とされていた風習からでしょう。
「トイレを掃除するとお金持ちになる」という言い伝えは、神産みで金山毘古神・金山毘売神がイザナミの糞便から生まれたという神話で、鉱山や金属の神とトイレの神が同じ起源を持つという発想が、民間信仰において厠神を『金運の神』とも結びつけたのでしょう。
また、「トイレをきれいにすると美人になる」という言い伝えは、中国の紫姑神(しこしん)の伝説によるもので、紫姑神(しこしん)も厠神として崇敬されてきました。
「トイレにはそれはそれはキレイな女神様がいるんやで」「だから毎日キレイにしたら女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで」は、植村花菜の「トイレの神様」のフレーズ。
仏教が日本に伝わると、厠神信仰は不浄を焼き尽くす仏の烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)と結びついていきました。五大明王のうち北方を守護する存在として位置づけられ、その本願は「不浄を転じて清浄となす」ことにあり、汚れを浄化する役割を持ち、特にトイレの清潔を守るとされています。
