菅原道真と遣唐使

 日本国内でも律令制度や仏教が十分に定着しており、唐の模倣から脱却する時期に来ていました。かつて超大国だった唐は「黄巣の乱」などで衰退しており、唐はすでに学ぶべき対象ではなくなっていました。船団を組み危険を冒してまで渡海しても、優秀な人材を失う損失の方がはるかに大きかったのです。

 一方、唐や新羅の商船が頻繁に来航するようになり、必要な文物は彼らから購入できるようになり、物資調達の手段が変化しました。また、これらの商船は、僧侶たちの私的な留学や人的な交流、情報を運び続けていたのです。

 菅原道真が大宰府へ左遷されたことで、再開を主導する者がいなくなり、朝廷で遣唐使にかかわる議論がなされることもなく、907年に唐王朝の滅亡により実質的に遣唐使は廃止となりました。道真は派遣されることがなかったが、最後の遣唐使です。