大宝律令は701年の文武天皇の時代に、藤原不比等(ふじわらのふひと)と刑部親王(おさかべしんのう)が唐の律令を真似てまとめたもので、日本で初めて、律(刑法)令(行政法・民法)が揃った法令でした。中央政治のしくみとして、朝廷の祭祀を担当する神祇官と国政を統括する太政官が置かれた「二官八省五衛府」が制定され、天皇を頂点とした政治組織体制が完成しました。地方行政において中央から任命される国司に大きな権限を与えて、朝廷による地方統治を行いました。税制についても規定されており、「租庸調」と呼ばれる税制が課税され、6年ごとに作成される戸籍をもとに口分田を支給し、その口分田に対し、税金を課税していきました。
