天武天皇

 天武天皇は、鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)を皇后(持統天皇)に立て、一人の大臣も置かず、直接に政務を行いました。皇后は壬申の乱のときから政治について助言したといいます。要職に皇族をつけたのが特徴で、これを皇親政治というが、皇族が政権を掌握したわけではなく、権力はあくまで天皇個人に集中し、古代における天皇専制の頂点となりました。

 天武天皇は、道教に関心を寄せ、神道を整備し、仏教を保護して国家仏教を推進した。その他日本土着の伝統文化の形成に力があった。「天皇」を称号とし、「日本」を国号とした最初の天皇とも言われます。 

 また、民間習俗を積極的にとりこみ、地方的な祭祀の一部を国家の祭祀に引き上げました。。神道の振興は、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祖とする天皇家との関係に各地の神を位置づけ、体系化して取り込むことにあり、天皇権力の強化に向けられていました。それぞれの地元で祀られていた各地の神社・祭祀は保護と引き換えに国家の管理に服し、古代の国家神道が形成されます。その際、伊勢神宮を特別に重視し、この神社が日本の最高の神社とされる道筋をつけました。

 天皇の仏教保護も手厚いものがありました。即位前には出家して吉野に退いた経歴を持ち、即位後は使者を全国に派遣して、「国王が天の子であり、生まれたときから守護され、人民を統治する資格を得ている」と記す『金光明経』を説かせます。天照大神の裔による現人神思想と軌を一にするものでありました。「家ごとに仏舎を作って礼拝供養せよ」という詔を下し積極的に仏教を広めていきます。結果、全国で氏寺が盛んに造営されました。ただし、本人・家族の救済ではなく、護国を目的とした事業であり、僧尼に天皇や国家のための祈祷に専念することを求め、仏教を国家に従属させようとするものでもありました。国家神道に対応する国家仏教であります。

  「肉食禁止令」を発布します。これは安定的な税収の確保の為に稲作を促進する観点から、ウシやウマなど稲作に役に立つ動物の保護を目的とした法令で、稲作の害獣と見なされた鹿と猪については、狩猟方法に規制をかけただけでありました。しかし、これ以降の時代においても類似した禁令が繰り返され、日本人は、しだいに肉食そのものを稲作に害をもたらす穢れと見なし、表向きは遠ざかるようになっていきます。