朝鮮半島では、高句麗(こうくり)・百済(くだら)・新羅(しらぎ)の三国が覇権を争っていました。百済は日本と友好関係にあり、新羅は唐と同盟関係にありました。百済が新羅に滅ぼされると、日本は百済復興のための救援要請を受けます。日本国内でも、唐との関係を重視する派と百済支援を重視する派に分かれていましたが、出兵が決定されました。しかし、兵力や戦術で劣勢であり、日本・百済連合軍は大敗しました。日本は多くの兵と朝鮮半島での影響力を失い、遣唐使が人質になるなど外交的にも大きな打撃を受けました。この敗戦を契機に日本は国内の防衛体制を強化し、海岸線の警備や軍事制度の整備を進めることになります。天智天皇の時代には、海防の徹底や国力強化が図られました。
白村江の戦いは、日本史において初期の海外出兵と敗北の象徴的な戦いであり、後の国防政策や外交戦略に大きな影響を与えた戦争です。
