蘇我蝦夷は、冠位十二階の制に反して朝廷の許可もとらずに、息子の蘇我入鹿(そがのいるか)に自分の紫冠を授け、大臣にしてしまいました。
蘇我氏の独裁体制をよく思っていなかった中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と伴に、新羅・百済・高句麗の3カ国の使者を迎える「三国の調」の儀式で、蘇我入鹿の暗殺に成功します。翌日には蘇我蝦夷は自分の屋敷に火を放ち、自害してしまいました。皇極(こうぎょく)天皇は退位し、孝徳(こうとく)天皇へ天皇の位を譲りました。そして、中大兄皇子は皇太子となります。この政変を「乙巳の変」いいます。
こうして発足し新政権は、蘇我氏による独裁体制を許してしまった氏姓制度の廃止と、律令制にもとづいて天皇に権力が集中する中央集権国家(律令国家)を目指したのです。この政治改革が「大化の改新」です。政変後、孝徳天皇により「改新の詔」が発布されます。
