平安時代の後期、日本国内でも律令制度や仏教が十分に定着しており、唐の模倣から脱却する時期に来ていました。かつて超大国だった唐は「黄巣の乱」などで衰退しており、唐はすでに学ぶべき対象ではなくなっていました。船団を組み危険を冒してまで渡海しても、優秀な人材を失う損失の方がはるかに大きかったのです。
一方、唐や新羅の商船が頻繁に来航するようになり、必要な文物は彼らから購入できるようになり、物資調達の手段が変化しました。また、これらの商船は、僧侶たちの私的な留学や人的な交流、情報を運び続けていたのです。
このような状況を踏まえて、寛平6年(894年)、遣唐大使に任命された菅原道真が、宇多天皇に対して遣唐使派遣の再検討(建議)を行いました。これは、日本が古代から中世へと移り変わる中で、自国の状況に合わせて外交方針を大きく転換させた歴史的な決断でした。
菅原道真が大宰府へ左遷されたことで、再開を主導する者がいなくなり、朝廷で遣唐使にかかわる議論がなされることもなく、907年に唐王朝の滅亡により実質的に遣唐使は廃止となりました。道真は派遣されることがなかったが、最後の遣唐使です。
