名主傳兵衛の怨霊伝説

 初代の御代川傳兵衛(みよかわでんべい)は江戸の浪人でしたが、小栗原(現在の船橋市本中山)に住みつきました。傳兵衛はたいへん博学で、村人からの信頼も厚く名主となりました。

 二代目の傳兵衛は、私慾が強く村民に過酷な年貢をかけたといわれる人物でした。そのため村人との間のもめごとは、「出入り」と呼ばれる当時の民事裁判に発展し争われました。この訴訟で敗れた傳兵衛は、「無念である」と恨み神社にたてこもり37日間の断食の末、悶死したと伝えられています。その後、村にわざわいが起きると、すべて傳兵衛名主の怨念だ、祟りだなどと村人から恐れられてきました。

 大正時代に傳兵衛(二代目)の墓碑と傳兵衛稲荷を妙円寺境内に建て大供養を行いました。その後も村人に災難が起こったため、昭和の初期から傳兵衛の命日である6月28日には、町内有志と町会役員一同が妙円寺で傳兵衛の供養を行っていくことになりました。この地区に伝わる「名主傳兵衛の怨霊伝説」です。

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